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3 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

毎日新聞秋田県版の紙面で、故郷秋田で伝承されてきた人間の営みを伝える連載『高橋智史が撮る故郷・秋田~受け継がれしものたち~』を行わせていただきます。秋田での撮影は、私自身の原点を見つめることにも繋がっていくような気がします。

 

第1話は『神の魚求めて』。初冬の風物詩『季節ハタハタ漁』を取材させていただきました。冬の到来を告げる雪雲から雷鳴が海上に轟く12月頃、ハタハタは深海から大群をなして、産卵のために沿岸にやってきます。その姿を通して、雷神が遣わした『神の魚、鰰(ハタハタ)』として古くから崇められ、故郷の文化的営みと密接してきました。神の魚を求めて、風雪の海に挑む漁師たちの姿と願い。よろしければご高覧ください。

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26 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第2話が掲載されました。2話では、男鹿市真山地区の『真山の万体仏』を取材させていただきました。今から300年前の江戸中期、普明という仏教僧が、幼くして落命した多くの子どもたちと、愛弟子を供養するためにお堂を建てました。そして、彼等の魂を救うために、1万2千体以上の地蔵菩薩を彫り続け、それはいつしか『真山の万体仏』と呼ばれるようになりました。身命を賭すような、地蔵菩薩に刻まれたひと彫りひと彫りを見つめていると、普明が込めた鎮魂と安寧の願いが幾重にも重なり聞こえてくるような気がしました。子どもが病気にならぬように、または命を落とさぬように、無病息災の護符とされるナマハゲが纏うケデから落ちた稲わらや、願いを込めた紙片が結ばれた地蔵菩薩もあり、万体仏は今も温かい信仰を集めています。

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30 June 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第3話が掲載されました。3話では、女性の生涯を守る神様として尊ばれ、子宝、安産、子どもの健やかな成長を願い、全国から年間約6万人の参拝者が訪れる秋田県大仙市協和にある『唐松神社』を取材させていただきました。唐松神社では江戸後期に『唐松講中』とも『唐松八日講』ともいわれる毎月8日に女性が参拝する慣習が生まれ、その集いの場が信仰を深める原点となり、人々の生きる芯棒になっていきました。講中は明治から戦前にかけて最盛期を迎え、県を越えて広がったといわれています。拝殿内には唐松神社での祈願後に、赤ちゃんを授かった人々によって奉納された新旧無数の鈴が掲げられ、幾世代にもわたる篤い信仰心が見て取れます。数限りない人々の、人生の節目を見守り続けてきた唐松神社。その重みと、ご家族の尊い願いを感じながらシャッターを切らせていただいた時間でした。

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3 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第4話が掲載されました。4話では、日本最後の空襲として知られる『土崎空襲』について取材し、不戦と平和への願いを記事に込めました。土崎空襲は、1945年8月14日の午後10時半に始まり、15日未明にかけて約4時間続きました。130機を超えるB29は、国内最大規模の生産量を記録していた秋田市土崎港近くの旧日本石油秋田製油所を標的に定め、約1万2000発の爆弾を投下しました。製油所は壊滅し、市民と軍人合わせて250人以上の命が失われました。8月15日における終戦、わずか10時間ほど前の出来事でした。猛火と共に、飛び交う刃のような爆弾の破片は人々を切り裂き、製油所から2キロほど離れた寺院『雲祥院』にも襲来し、地蔵の頭部をそぎ飛ばしました。その地蔵は今、『首無し地蔵』または『身代わり地蔵』として大切に安置され、人々に戦禍を語りかけています。

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30 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第5話が掲載されました。5話では、商業生産されている国内最北の産地であることから『北限のお茶』として知られる秋田県能代市の『檜山茶』作りに魂を注ぐ、梶原啓子さんを取材させていただきました。檜山茶は約300年前、檜山地区を所領する武家を通じて京都の宇治茶が伝わり根付きました。最盛期には200戸ほどで生産されていましたが、檜山茶を栽培する茶園は現在わずか2戸になり、希少なお茶となっています。完全手作業の、手もみ製茶法によって生産される檜山茶作りは1日がかりの大変な仕事です。焙炉(ほいろ)と呼ばれる加熱された炉の横に立ち続け、手もみと乾燥に至る工程に梶原さんは全力を注ぎます。丹念に手もみされた茶葉は針のように細長く艶のある形状に至ります。梶原さんは継承の重圧に苦しみながら、多くの壁を乗り越えてきました。その先に見えたものは『今やれることをぶれずに貫く』という答えでした。その志から、私も大切なことを教えていただきました。

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31 December 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第7話が掲載されました。7話では、日本唯一の『ナマハゲ面彫師』石川千秋さんを取材させていただきました石川さんは先代である父(故人)の後を継ぎ、親子2代にわたる『石川面』と呼ばれるナマハゲ面を生み出しています。石川さんが生み出すお面は、来訪神ナマハゲの代表的な顔として、全国の人々に知られています。威厳と畏怖を纏うお面は、石川さんのひと彫りひと彫りが刻まれた命の証。男鹿半島全域で行われてきた民俗行事『男鹿のナマハゲ』の伝統を、各町内で受け継がれてきたお面と共に支えています。

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10 January 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第8話が掲載されました。8話では、太平山の修験者たちが伝えたとされる『山谷(やまや)番楽』を取材させていただきました山谷番楽は、太平山の雄姿を目の前に望む秋田市太平山谷地区で500年以上も受け継がれてきました。かつては、同地区の『生面神社』に祭られている15体の面を使って舞われ、疫病を鎮め、五穀豊穣を祈願したといわれています。山谷番楽は1967年に市無形民俗文化財に指定され、同年に設立された『秋田市太平山谷番楽保存会』により、子どもたちへの継承活動が続けられてきました。子どもたちはその技を身につけ、いにしえの舞を各地で披露しています。

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19 January 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第9話が掲載されました。9話では、秋田の民間伝承を代表する『男鹿のナマハゲ』に100年以上前から使用され、80年代に消失した後、約30年ぶりに復活した男鹿市双六地区のナマハゲ面、『双六面』の復活をテーマに取材させていただきました。ナマハゲ行事が行われた今年の大晦日は吹雪の夜でした。復活した双六面は、白い大地に確かな足跡を残し、連綿と受け継がれてきたナマハゲ行事に新たな一ページを刻みました。

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8 March 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第10話が掲載されました。10話では、江戸中期から秋田に伝わる土人形『八橋人形』を取材させていただきました。八橋人形は、京都・伏見の人形師が秋田に窯を開いたことが起源とされ、最盛期には500種類の八橋人形の『型』があったと言われています。八橋人形はその後、北前船で海を越え広まり、函館で確認された江戸期の記録が残っています。人々は、男の子が生まれた際には『八橋のおでんつぁん』と親しまれてきた『天神人形』を。女の子が生まれた際には『ひな人形』を買い求め、健やかな成長を願いました。しかし、時代の変遷と共に八橋人形は衰退し、2014年には最後の伝承者だった道川トモさんが逝去され、廃絶の危機に直面しました。その一年後に、廃絶を惜しむ有志により『八橋人形伝承の会』が立ち上がり、製作、保存、伝承活動に取り組んでいます。

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6 April 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第11話が掲載されました。20年の歳月を投じた干拓事業前、琵琶湖に次ぐ国内2番目の大きさを誇る湖だった『八郎潟』。干拓前は日本海と繋がり、フナ、スズキ、ボラ、シラウオ、ウナギ、シジミなど多様な魚介類が水揚げされる豊穣な汽水湖でした。古来より漁業が盛んに行われ、魚の習性に合わせた漁法も50種近くが生み出されました。そして人々は漁の節目ごとに、恩恵をもたらす魚への感謝と供養の意を示すために、八郎潟周辺に『魚塚』を建立してきました。ハタハタ漁の取材でも『ハタハタ塚』を撮影しましたが、大きな自然に対する深い感謝と畏敬の念を、この度取材をさせていただいた『ボラ塚』を通しても感じました。先人の一人一人が懸命に生き、願い、尊び築いてきた『潟』の営み。母なる大湖に刻まれたその記憶を、魚塚は今も、黙して語りかけてくるようでした。

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11 May 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第12話が掲載されました。12話では、秋田県五城目町周辺地域が発祥と伝わる秋田の郷土料理『だまこ鍋』作りの名人、石井邦子さんを取材させていただきました。邦子さんのだまこ鍋には、地鶏のガラ、昆布、煮干し、カツオ節から丁寧にとった出汁が使われ、『だまこもち』がその豊潤なうま味を吸っていきます。邦子さんには、だまこ鍋を通した忘れることのできない思い出があります。東日本大震災時、岩手県大槌町の浪板観光ホテル(当時)には、秋田県五城目町と隣町の井川町から来た43人の老人クラブの一行が宿泊していました。ホテル従業員の指示により全員が助かりましたが、避難を見届けたホテル社長と料理長、3人の消防団員の命が津波により失われました。その後『大槌町民の恩義に報いたい』と願う町の要請を受け、邦子さんを始めとしたメンバーは、震災から約2か月後に大槌町に向かい、だまこ鍋の炊き出し活動を行いました。壮絶な現場に時に言葉を失いながら、『美味しい。もっと食べたい』と話してくれる人々に心を寄せ、だまこ鍋をふるまいました。当時の出会いは絆となり、だまこ鍋を通した人々との友情が今も続いています。

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1 June 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第13話が掲載されました。13話では、由利本荘市の潟保集落に、200年以上受け継がれてきた伝統の獅子神楽『潟保八幡神社神楽』を取材させていただきました同神楽は、江戸中期の天明元年(1781年)に起源を持ち、現在は、毎年4月の第3日曜日に行われる『潟保八幡神社例祭』で演じられています。潟保集落の者が、お伊勢参りの時に神楽を学び、潟保に伝えたとされるほか、伊勢から楽師を招いて伝授されたともいわれています。取材当日、潟保は青空に包まれ、絶好の祭り日和でした。神楽囃子の音色が穏やかな風に乗って、春の息吹を運び込んでいるような気がしました。

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6 July 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第14話が掲載されました。14話では、日本最大の産出量を記録する大銀山として名を馳せた『院内銀山』を取材しました。院内銀山は秋田県湯沢市に位置し、江戸期の発見から約350年の足跡を歴史に刻み、秋田藩の財政を支えました。銀の輝きは全国から人をひきつけ、一万人以上が集う『院内銀山町』を形成し、『出羽の都』と称されました。その隆盛を支えたのは、一人一人の名もなき鉱山労働者の力でした。地下400メートル以上に及ぶ坑道での重労働と、鉱物粉塵に長期に渡り曝露された彼らの肺は『よろけ』と呼ばれる『珪肺(けいはい)病』に蝕まれ、『30歳まで生きれば長生き』とされました。その年を超えた者は還暦を祝うような『赤いふんどし』を。満たない者は『白いふんどし』を締め、坑道に向かい続けました。この度の取材で最も印象に残った場所があります。院内銀山跡地にある『三番共葬墓地』。銀山で生涯を終えた人々の、約500基の墓碑が連なり、彼らの生きた証が刻まれています。その姿は、銀山の栄枯盛衰の全てを物語るかのように、コケやシダが支配する緑の大地に包まれています。それはまるで一つの文明が役割を終え、自然に還っていくような、命の光景でした。

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10 August 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第15話が掲載されました。15話では、江戸期より続く『土崎神明社』の例大祭である国重要無形民俗文化財『土崎神明社祭の曳山(ひきやま)行事』(土崎港曳山まつり)を取材させていただきました。武者人形が飾られた約3トンの巨大な曳山が各町内から動き出すと、情緒溢れる『港ばやし』の音色と共に、曳子たちの『ジョヤサ!ジョヤサ!』のかけ声が地区に響き渡り、沸き立つ熱気に港町は包まれます。曳山が運行を開始すると、『ギー』という独特の台車がきしむ重厚な音が空気を震わせ、無病息災を願いながら台車は町内を練り歩きますまつりの最後には、港ばやしの一つ『あいや節』が奏でられ、哀調を帯びた音色が暖かな風に乗って、午前1時を過ぎても耳に届きました。それはまるで、たぎる港魂を優しく鎮めるような、名残りを惜しむような、心にしみる音色でした。

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7 September 2022

高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第16話が掲載されました。16話では、秋田県美郷町の本堂城回地区の『鍾馗(しょうき)様』を中心とした『わら文化』を取材しました。鍾馗様は、疫病を追い払う厄除けの神様として古来中国で信仰され、日本に伝来後、各地の文化に融合していきました。秋田県有数の米どころである美郷町を表すように、本堂城回地区の鍾馗様は、身の丈約3メートルの巨大なわら人形。悪疫から地区を守り、集落安寧の願いが込められている道祖神として、大切に受け継がれてきました。樹齢500年以上と伝わるけやきの大木の根元に鎮座する姿はとても神秘的です。鍾馗様は一年に一度、田植えを終えた6月に作り替えの行事が行われます。前年の鍾馗様はその場でお焚き上げを行い、天に返します。古来より人は、稲に神が宿ると信じて暮らしてきました。鍾馗様作りの姿を通して、受け継がれてきた人間の尊い営みの一端に触れたような時間でした。

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5 October 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第17話が掲載されました。17話では『千体地蔵』に込められた願いを取材させていただきました。古来、交通の難所として知られた秋田県由利本荘市の『折渡峠』に手彫りで作られた千体もの地蔵が立ち並んでいます。江戸期より、霊場として信仰を集めていたこの地に千体の地蔵をまつり、全山を霊地として新たな信仰の場とする実行委員会が地元有志により平成元年に発足。故・髙橋喜一郎さんを会長として寄進者を募り、約2年間で千体の地蔵が建立されました。喜一郎さんは戦時中、特攻機『桜花』の研究にも携わりました。自らが関わった兵器により、多くの命が失われた深い悔恨の念から、戦後は恒久平和を願い続ける人生をおくります。沖縄戦のガマから石を、広島と長崎から被爆した瓦とモルタルのかけらを譲り受け、千体地蔵のある山の頂上に設置した二体の地蔵の足元に埋めて供養しました。千体地蔵建立の背景には、平和を未来へ繋ごうとする強い意志がありました。夕暮れ時、木々の隙間から光が優しく峠に差し込み、あまたの地蔵が美しく浮かび上がりました。それはまるで、地蔵に込められた尊い願いが一つ一つ照らし出されたような、心を打つ光景でした。

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2 November 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第18話が掲載されました。18話では秋田県男鹿半島北部の琴川(ことかわ)地域の里山で、耕作放棄地の再生活動に尽力されている佐藤毅さんを取材させていただきました。琴川地域は、ホタルが舞う水田と里山が広がる美しい場所。佐藤さんはその地で、自家焙煎によるコーヒー豆焙煎所と喫茶店『珈音』(かのん)を営みながら、先人より受け継がれてきた里山を生かし守ろうと、活動を続けています。ある日の田植えの取材中、佐藤さんが2年がかりで再生した水田前で、佐藤さんが火に木をくべて、コーヒーを淹れてくれました。里山に遠く響く野鳥の声と、草木のそよめき。自然が奏でる美しい音色だけが、里山の空間を包み込んでいました。その中でいただく思いのこもったコーヒーは、心に染みる最高の味でした。

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7 December 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第19話が掲載されました。秋田県の方言で、漬物のことを『がっこ』と言います。私が幼少の頃、祖母の友人たちが家に集うと、大根、白菜、ナスなど各自が作った自慢のがっこがお茶うけに持ち寄られ、話に花が咲いていました。彩り豊かながっこの文化は、収穫した野菜を大切に使い切る先人の知恵によって生み出され、風土や歴史を反映してきました。今や、全国的に知られる『いぶりがっこ』はその代表格。第19話では、いぶりがっこの発祥地といわれる秋田県横手市山内(さんない)地区で、伝統の『山内いぶりがっこ』を作り続けてきた高橋健太郎さんご家族を取材させていただきました。

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11 January 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第20話が掲載されました。20話では、今年で開催60回の節目を迎える『みちのく五大雪まつり』の一つ、『なまはげ柴灯(せど)まつり』を取材させていただきましたなまはげ柴灯まつりは、伝統のなまはげ行事と、900年以上前から男鹿市真山地区真山神社で行われてきた神事『柴灯祭』を組み合せ、昭和39年に始まりました。新型コロナウイルスという難しい状況が続く社会。無病息災と五穀豊穣をもたらすなまはげの存在は今の時代において、より大きな意味を語りかけてくるような気がします。

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1 February 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第21話が掲載されました。21話では奥羽山脈のふもとに位置し、秋田県屈指の豪雪地帯である横手市山内地区で醸造される『山内濁酒』を取材させていただきました。山深い同地区に分け入った先人たちは、林業や農業を興しながら集落を築き、山間に生きる暮らしの知恵を継承していきました。古来、日々の力仕事を終えた男たちの間で夜な夜な愛され、各家庭で密かに醸造されてきた『山内濁酒(どぶろく)』もその一つ。それは、山に囲まれた風土を表すかのように隠語で『フクロウ』と呼ばれ、長く厳しい冬を乗り越える活力となってきました。2010年、横手市全域が『どぶろく特区』に認定されましたが、離農や少子高齢化に伴う後継者不足により、山内濁酒の作り手は減り続け、いつの間にか杜氏は一人となっていました。その状況に心動かされた20代から40代の5人の男性が、2019年に弟子入り。当時、80代半ばだった坂本勇さんから製造技術を学んだ後、醸造所『さんない四季彩館』を立ち上げ、伝統のどぶろく作りに取り組んでいます。

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1 March 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田

新聞連載の第22話が掲載されました。22話では、漁の安全と豊漁を願い、冬の日本海でとれた大きな寒ダラを神に奉納する伝統行事『掛魚(かけよ)まつり』を取材させていただきました掛魚まつりは、秋田県にかほ市金浦(このうら)地域で受け継がれてきた漁師の神事に由来し、300年以上前から執り行われてきたと伝わります。タラ漁が最盛期を迎える1月から2月の日本海は大しけが続き、その海は時に金浦の漁師の命を呑み込んできました。荒れた天候により出漁も限られます。風雪の合間を縫い、得ることができた待望の大タラは古来尊ばれ、人に幸をもたらしてきました。まつりの背景には、タラへの感謝と海に対する畏敬の念があり、漁師は一番の大物を、氏神様である金浦山神社に奉納することで、漁の安全と豊漁を代々願ってきました。今年、タラを担ぎ練り歩く『奉納行列』は、新型コロナウイルス対策などで中止となりましたが、約30人が金浦山神社に集い、神事に臨みました。

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5 April 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田

2年間取り組ませていただいた新聞連載の最終号となる第23話が掲載されました。23話では、秋田県美郷町六郷地区に、700年以上前の鎌倉時代から伝わる小正月行事『六郷のカマクラ』の最終日を飾る『竹うち』を取材させていただきました。竹うちは、長さ6メートルの青竹を男衆が雪の中で激しく打ち合う勇壮な行事。会場となる『カマクラ畑』には今年、約160人の打ち手が集いました。彼らは、北軍と南軍に別れて対峙すると、古代の合戦を思わせる『木貝』を吹き鳴らし、気合を前面にたぎらせていきます。決戦の幕が開けると双方が一斉に駆け出しぶつかり合い、青竹が何度も振り下ろされ、奮戦が続きます。決着のつけ方は、相手の陣地に押し込んだ方の勝ちとなります。戦いは3回にわたり行われ、北軍が勝てば豊作となり、南軍が勝てば米の値が上がるとされ、今年は北軍に軍配が上がりました。竹うち最後の戦いの前には、人々が願い事を記した天筆を焚き上げる『天筆焼き』が行われ、荘厳な火柱が天に向かって昇りました。炎は空間を朱色に染め上げ、激突する男衆を照らし出しました。それは、いにしえの願いと共に歴史を歩む、人間の生きる証しが凝縮された、魂を揺さぶる光景でした。

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