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3 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

 

~受け継がれしものたち~第1話

温かいお声がけを受け、本日より毎日新聞秋田県版の朝刊紙面で、新たな新聞連載を行わせていただくことになりました。紙面への掲載に連動して、毎日新聞社のニュースサイトでも広くご紹介をいただきます。連載のタイトルは『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』となり、私にとって待望の、故郷で伝承されてきた風土を見つめるフォトエッセイです。紙面未掲載写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。カンボジアを取材し始めて17年がたち、今こうして、故郷での取材を重ねていると、故郷を知らない自分自身を突き付けられます。そして故郷には、数多くの尊い営みがあることに気が付きます。秋田での撮影は、私自身の原点を見つめることにも繋がっていくような気がします。連載第1回目の掲載は、冬のごく僅かな期間、極寒の海で行われる『季節ハタハタ漁』の取材を通して感じた思いを描きました。冬の到来を告げる雪雲から雷鳴が海上に轟く12月頃、ハタハタは深海から大群をなして、産卵のために沿岸にやってきます。その姿を通して、雷神が遣わした『神の魚、鰰(ハタハタ)』として古くから崇められ、故郷の文化的営みと密接してきました。連載第1回『神の魚求めて』。よろしければぜひ、ご高覧ください。受け継がれてきた故郷の大切な願いを、少しでも多くの方々に伝えるために、心を込めてシャッターを切っていきたいと思います。新たな連載をどうぞよろしくお願いいたします。

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26 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第2話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第2話が掲載されました。第2話は、男鹿真山地区の『真山の万体仏』の伝承を見つめました。今から300年前の江戸中期、普明という仏教僧が、幼くして落命した多くの子どもたちと、愛弟子を供養するためにお堂を建てた。そして、彼等の魂を救うために、1万2千体以上の地蔵菩薩を彫り続け、安置した。それはいつしか『真山の万体仏』と呼ばれるようになった。どれだけの時を注いだのだろう、どれだけの祈りを込めたのだろう。身命を賭すような、地蔵菩薩に刻まれたひと彫りひと彫りを見つめていると、普明が込めた鎮魂と安寧の願いが幾重にも重なり聞こえてくるような気がした。真山の万体仏の伝承は、世代を超えて地域の人々に守られ愛され、尊い願いが紡がれてきました。子どもが病気にならぬように、または命を落とさぬように、無病息災の護符とされるナマハゲが纏うケデから落ちた稲わらや、願いを込めた紙片が結ばれた地蔵菩薩もあり、今も温かい信仰を集めています。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。受け継がれてきた願い。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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30 June 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第3話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第3話が掲載されました。第3話は、女性の生涯を守る神様として古くから尊ばれ、子宝、安産、子どもの健やかな成長を願い、全国から年間約6万人の参拝者が訪れる秋田県大仙市協和にある[  『唐松神社』の伝承を見つめました。唐松神社では江戸後期に、『唐松講中』とも『唐松八日講』ともいわれる毎月8日に女性が参拝する慣習が生まれ、その集いの場が信仰を深める原点となり、人々の生きる芯棒になっていきました。講中は明治から戦前にかけて最盛期を迎え、県を越えて広がったといわれています。拝殿内には唐松神社での祈願後に、赤ちゃんを授かった人々によって奉納された新旧無数の鈴が掲げられ、幾世代にもわたる篤い信仰心が見て取れます。赤ちゃんが成長し大人になってから、かつてご家族が奉納した鈴を見に来る方も多くいると宮司さんから教えていただきました。取材当日も、女の子の赤ちゃんの健やかな成長を願い祈祷を受けるご家族の姿がありました。数限りない人々の、人生の節目を見守り続けてきた唐松神社。その重みと、ご家族の尊い願いを感じながらシャッターを切らせていただいた取材の時間でした。第64代宮司の物部長仁さんはじめ、この度も多くの方々から、取材に至るまでの温かいサポートと学びの時間を与えていただきました。ご協力いただいた全ての皆様に心から感謝いたします。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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3 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第4話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第4話が掲載されました。第4話は、日本最後の空襲として知られる『土崎空襲』について描き、不戦と平和への願いを込めました。土崎空襲は、1945年8月14日の午後10時半に始まり、15日未明にかけて約4時間続きました。130機を超えるB29は、国内最大規模の生産量を記録していた秋田市土崎港近くの旧日本石油秋田製油所を標的に定め、約1万2000発の爆弾を投下しました。製油所は壊滅し、市民と軍人合わせて250人以上の命が失われました。8月15日における終戦、わずか10時間ほど前の出来事でした。猛火と共に、飛び交う刃のような爆弾の破片は人々を切り裂き、製油所から2キロほど離れた寺院『雲祥院』にも襲来し、地蔵の頭部をそぎ飛ばしました。その地蔵は今、『首無し地蔵』または『身代わり地蔵』として大切に安置され、人々に戦禍を語りかけています。戦争は、殺戮と破壊、憎悪と悲劇の全てを双方に生み出し、愛する家族を奪い去り、人間の尊厳を徹底的に踏みにじり、今も消えぬ傷と深い遺恨を残しています。平和は、気がついた時には手から滑り落ちています。だからこそ不断の努力で不戦を誓い、過去を顧み、人々の尊い願いを伝え続けていきたいと改めて決意しています。4歳で土崎空襲を経験し、平和への切実なる魂の訴えを発し続けている数少ない語り部の一人、伊藤津紀子さん(80)始め、この度もたくさんの人々の温かい思いを得て取材に取り組ませていただきました。ご協力いただいた全ての皆様に心から感謝いたします。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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30 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第5話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第5話が掲載されました。第5話は、商業生産されている国内最北の産地であることから『北限のお茶』として知られる秋田県能代市の『檜山茶』作りに魂を注ぐ、梶原啓子さんの志を撮影し、書かせていただきました。檜山茶は約300年前、檜山地区を所領する武家を通じて京都の宇治茶が伝わり、根付きました。最盛期には200戸ほどで生産されていましたが、現在、檜山茶を栽培する茶園はわずか2戸になり、希少なお茶となっています。完全手作業の、手もみ製茶法によって生み出される檜山茶作りは1日がかりの大変な仕事です。焙炉(ほいろ)と呼ばれる加熱された炉の横に立ち続け、手もみと乾燥に至る工程に梶原さんは全力を注ぎます。時間をかけ、丹念に手もみされた茶葉は針のように細長く艶のある形状に至ります。梶原さんの手によって生み出された北限のお茶の味は、『最初に甘みを感じて、その後にすっきりとした苦みがくる。大地を感じるような、自然が醸し出す味だと思います』と梶原さんは教えてくれました。現場でも飲ませていただきましたが、深い香りが優しく口の中に広がり、大切な時間に、家族や友人とゆっくり飲みたいと思うような味でした。梶原さんは、『継承』の重圧に苦しむ時もあったと教えてくれました。決して平たんな道ではなく、幾重もの壁を乗り越えた先に見えたものは『今やれることをぶれずに貫く』という答えでした。その志から、私も大切なことを教えていただきました。この度の取材も、梶原さんを始めとした故郷秋田の皆様の、温かいご協力があったからこそ、取材に取り組むことができました。私の思いを受け入れてくださった全ての皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。