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3 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田

 

~受け継がれしものたち~第1話

温かいお声がけを受け、本日より毎日新聞秋田県版の朝刊紙面で、新たな新聞連載を行わせていただくことになりました。紙面への掲載に連動して、毎日新聞社のニュースサイトでも広くご紹介をいただきます。連載のタイトルは『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』となり、私にとって待望の、故郷で伝承されてきた風土を見つめるフォトエッセイです。紙面未掲載写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。カンボジアを取材し始めて17年がたち、今こうして、故郷での取材を重ねていると、故郷を知らない自分自身を突き付けられます。そして故郷には、数多くの尊い営みがあることに気が付きます。秋田での撮影は、私自身の原点を見つめることにも繋がっていくような気がします。連載第1回目の掲載は、冬のごく僅かな期間、極寒の海で行われる『季節ハタハタ漁』の取材を通して感じた思いを描きました。冬の到来を告げる雪雲から雷鳴が海上に轟く12月頃、ハタハタは深海から大群をなして、産卵のために沿岸にやってきます。その姿を通して、雷神が遣わした『神の魚、鰰(ハタハタ)』として古くから崇められ、故郷の文化的営みと密接してきました。連載第1回『神の魚求めて』。よろしければぜひ、ご高覧ください。受け継がれてきた故郷の大切な願いを、少しでも多くの方々に伝えるために、心を込めてシャッターを切っていきたいと思います。新たな連載をどうぞよろしくお願いいたします。

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26 May 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第2話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第2話が掲載されました。第2話は、男鹿真山地区の『真山の万体仏』の伝承を見つめました。今から300年前の江戸中期、普明という仏教僧が、幼くして落命した多くの子どもたちと、愛弟子を供養するためにお堂を建てました。そして、彼等の魂を救うために、1万2千体以上の地蔵菩薩を彫り続け、それはいつしか『真山の万体仏』と呼ばれるようになりました。どれだけの時を注いだのだろう、どれだけの祈りを込めたのだろう。身命を賭すような、地蔵菩薩に刻まれたひと彫りひと彫りを見つめていると、普明が込めた鎮魂と安寧の願いが幾重にも重なり聞こえてくるような気がしました。子どもが病気にならぬように、または命を落とさぬように、無病息災の護符とされるナマハゲが纏うケデから落ちた稲わらや、願いを込めた紙片が結ばれた地蔵菩薩もあり、万体仏は今も温かい信仰を集めています。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。受け継がれてきた願い。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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30 June 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第3話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第3話が掲載されました。第3話は、女性の生涯を守る神様として古くから尊ばれ、子宝、安産、子どもの健やかな成長を願い、全国から年間約6万人の参拝者が訪れる秋田県大仙市協和にある[  『唐松神社』の伝承を見つめました。唐松神社では江戸後期に、『唐松講中』とも『唐松八日講』ともいわれる毎月8日に女性が参拝する慣習が生まれ、その集いの場が信仰を深める原点となり、人々の生きる芯棒になっていきました。講中は明治から戦前にかけて最盛期を迎え、県を越えて広がったといわれています。拝殿内には唐松神社での祈願後に、赤ちゃんを授かった人々によって奉納された新旧無数の鈴が掲げられ、幾世代にもわたる篤い信仰心が見て取れます。赤ちゃんが成長し大人になってから、かつてご家族が奉納した鈴を見に来る方も多くいると宮司さんから教えていただきました。取材当日も、女の子の赤ちゃんの健やかな成長を願い祈祷を受けるご家族の姿がありました。数限りない人々の、人生の節目を見守り続けてきた唐松神社。その重みと、ご家族の尊い願いを感じながらシャッターを切らせていただいた取材の時間でした。第64代宮司の物部長仁さんはじめ、この度も多くの方々から、取材に至るまでの温かいサポートと学びの時間を与えていただきました。ご協力いただいた全ての皆様に心から感謝いたします。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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3 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第4話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第4話が掲載されました。第4話は、日本最後の空襲として知られる『土崎空襲』について描き、不戦と平和への願いを込めました。土崎空襲は、1945年8月14日の午後10時半に始まり、15日未明にかけて約4時間続きました。130機を超えるB29は、国内最大規模の生産量を記録していた秋田市土崎港近くの旧日本石油秋田製油所を標的に定め、約1万2000発の爆弾を投下しました。製油所は壊滅し、市民と軍人合わせて250人以上の命が失われました。8月15日における終戦、わずか10時間ほど前の出来事でした。猛火と共に、飛び交う刃のような爆弾の破片は人々を切り裂き、製油所から2キロほど離れた寺院『雲祥院』にも襲来し、地蔵の頭部をそぎ飛ばしました。その地蔵は今、『首無し地蔵』または『身代わり地蔵』として大切に安置され、人々に戦禍を語りかけています。戦争は、殺戮と破壊、憎悪と悲劇の全てを双方に生み出し、愛する家族を奪い去り、人間の尊厳を徹底的に踏みにじり、今も消えぬ傷と深い遺恨を残しています。平和は、気がついた時には手から滑り落ちています。だからこそ不断の努力で不戦を誓い、過去を顧み、人々の尊い願いを伝え続けていきたいと改めて決意しています。4歳で土崎空襲を経験し、平和への切実なる魂の訴えを発し続けている数少ない語り部の一人、伊藤津紀子さんを(80)始め、この度もたくさんの人々の温かい思いを得て取材に取り組ませていただきました。ご協力いただいた全ての皆様に心から感謝いたします。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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30 August 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第5話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第5話が掲載されました。第5話は、商業生産されている国内最北の産地であることから『北限のお茶』として知られる秋田県能代市の『檜山茶』作りに魂を注ぐ、梶原啓子さんの志を撮影し、書かせていただきました。檜山茶は約300年前、檜山地区を所領する武家を通じて京都の宇治茶が伝わり、根付きました。最盛期には200戸ほどで生産されていましたが、現在、檜山茶を栽培する茶園はわずか2戸になり、希少なお茶となっています。完全手作業の、手もみ製茶法によって生み出される檜山茶作りは1日がかりの大変な仕事です。焙炉(ほいろ)と呼ばれる加熱された炉の横に立ち続け、手もみと乾燥に至る工程に梶原さんは全力を注ぎます。時間をかけ、丹念に手もみされた茶葉は針のように細長く艶のある形状に至ります。梶原さんの手によって生み出された北限のお茶の味は、『最初に甘みを感じて、その後にすっきりとした苦みがくる。大地を感じるような、自然が醸し出す味だと思います』と梶原さんは教えてくれました。これまでの道のりは決して平たんではなく、継承の重圧に苦しみながら、幾重もの壁を乗り越えた先に見えたものは『今やれることをぶれずに貫く』という答えだったと梶原さんは言います。その志から、私も大切なことを教えていただきました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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30 December 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第6話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第6話が掲載されました。第6話は、各地にある曲物(まげもの)の中で唯一、国の伝統的工芸品に指定されている『大館曲げわっぱ』の物語です。秋田杉の心地いい香りと、優しい温もり。自然美を感じる華麗な柾目(まさめ)に心を奪われていると、優美な曲面と精緻な組み合わせが視界を支配し、熟練の技に感嘆を覚えていきます。秋田県大館市で発掘された1000年前の埋没家屋からも、今とほぼ変わらぬ姿の曲げわっぱが出土しており、古来よりの結びつきを感じます。職人の皆様の、真剣勝負の場面に立ち合うことを許してくださった『大館工芸社』の皆様に、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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31 December 2021

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第7話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第7話が掲載されました。第7話は、日本唯一の『ナマハゲ面彫師』石川千秋さんの物語です。石川さんは先代である父(故人)の後を継ぎ、親子2代にわたる『石川面』と呼ばれるナマハゲ面を生み出しています。石川さんが生み出すお面は、来訪神ナマハゲの代表的な顔として、全国の人々に知られています。威厳と畏怖を纏うお面は、石川さんのひと彫りひと彫りが刻まれた命の証。男鹿半島全域で行われてきた民俗行事『男鹿のナマハゲ』の伝統を、各町内で受け継がれてきたお面と共に、支えています。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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10 January 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第8話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第8話が掲載されました。第8話は、太平山の修験者たちが伝えたとされる『山谷(やまや)番楽』の物語です。山谷番楽は、太平山の雄姿を目の前に望む秋田市太平山谷地区で500年以上も受け継がれてきました。かつては、同地区の『生面神社』に祭られている継承されし15体の面を使って舞われ、疫病を鎮め、五穀豊穣を祈願したといわれています。山谷番楽は、1967年に市無形民俗文化財に指定され、同年に設立された『秋田市太平山谷番楽保存会』により、子どもたちへの継承活動が続けられてきました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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19 January 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第9話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第9話が掲載されました。第9話は、秋田の民間伝承を代表する『男鹿のナマハゲ』に100年以上前から使用され、80年代に消失した後、約30年ぶりに復活した双六地区の『ナマハゲ面復活』の物語です。ナマハゲ行事が行われた今年の大晦日は吹雪の夜。復活した『双六面』は、白い大地に確かな足跡を残し、連綿と受け継がれてきた伝統のナマハゲ行事に新たな一ページを刻みました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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8 March 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第10話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第10話が掲載されました。第10話は、江戸中期から秋田に伝わる土人形『八橋人形』の物語です。八橋人形は、京都・伏見の人形師が秋田に窯を開いたことが起源とされ、最盛期には500種類の八橋人形の『型』があったと言われています。八橋人形はその後、北前船で海を越え広まり、函館で確認された江戸期の記録が残っています。人々は、男の子が生まれた際には『八橋のおでんつぁん』と親しまれてきた『天神人形』を。女の子が生まれた際には『ひな人形』を買い求め、健やかな成長を願いました。しかし、時代の変遷と共に八橋人形は衰退し、2014年には最後の伝承者だった道川トモさんが逝去され、廃絶の危機に直面しました。その一年後に、廃絶を惜しむ有志により『八橋人形伝承の会』が立ち上がり、制作、保存、伝承活動に取り組んでいます。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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6 April 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第11話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第11話が掲載されました。20年の歳月を投じた干拓事業前、琵琶湖に次ぐ国内2番目の大きさを誇る湖だった『八郎潟』。干拓前は日本海と繋がり、フナ、スズキ、ボラ、シラウオ、ウナギ、シジミなど多様な魚介類が水揚げされる豊穣な汽水湖でした。古来より漁業が盛んに行われ、魚の習性に合わせた漁法も50種近くが生み出されました。そして人々は漁の節目ごとに、恩恵をもたらす魚への感謝と供養の心を示すために、八郎潟周辺に『魚塚』を建立していきました。ハタハタ漁の取材でも『ハタハタ塚』を撮影しましたが、大きな自然に対する深い感謝と畏敬の念を、『ボラ塚』を通しても感じました。先人の一人一人が懸命に生き、願い、尊び築いてきた『潟』の営み。母なる大湖に刻まれたその記憶を、魚塚は今も、黙して語りかけてくるようでした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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11 May 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第12話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第12話が掲載されました。秋田県五城目町周辺地域が発祥と伝わる秋田の郷土料理『だまこ鍋』の物語となります。物語の主人公は、五城目町在住の石井邦子さん。取材当日は、地元でとれた食材をふんだんに使っただまこ鍋を作ってくれました。邦子さんのだまこ鍋には、地鶏のガラ、昆布、煮干し、カツオ節から丁寧にとった出汁が使われ、『だまこもち』がその豊潤なうま味を吸っていきます。邦子さんには、だまこ鍋を通した忘れることのできない思い出があります。東日本大震災時、岩手県大槌町の浪板観光ホテル(当時)には、秋田県五城目町と隣町の井川町から来た43人の老人クラブの一行が宿泊していました。ホテル従業員の指示により全員が助かりましたが、避難を見届けたホテル社長と料理長、3人の消防団員の命が津波により失われました。その後『大槌町民の恩義に報いたい』と願う町の要請を受け、邦子さんを始めとしたメンバーは、震災から約2か月後に大槌町に向かい、だまこ鍋の炊き出し活動を行いました。壮絶な現場に時に言葉を失いながら、『美味しい。もっと食べたい』と話してくれる人々に心を寄せ、だまこ鍋をふるまいました。当時の出会いは絆となり、だまこ鍋を通した人々との友情が今も続いています。『だまこ鍋が築いてくれた大切な縁をこれからも大切にしていきたい』と話す邦子さんの作るだまこ鍋の味は、秋田を故郷に持てたことを幸せと感じる温かい味でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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1 June 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第13話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第13話が掲載されました。由利本荘市の潟保集落に、200年以上受け継がれてきた伝統の獅子神楽『潟保八幡神社神楽』の物語です。同神楽は、江戸中期の天明元年(1781年)に起源を持ち、現在は、毎年4月の第3日曜日に行われる『潟保八幡神社例祭』で演じられています。潟保集落の者が、お伊勢参りの時に神楽を学び、潟保に伝えたとされるほか、伊勢から楽師を招いて伝授されたともいわれています。取材当日、潟保は青空に包まれ、絶好の祭り日和でした。神楽囃子の音色が穏やかな風に乗って、春の息吹を運び込んでいるような気がしました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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6 July 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第14話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第14話が掲載されました。第14回目は、日本最大の産出量を記録する大銀山として名を馳せた『院内銀山』を見つめました。院内銀山は、秋田県湯沢市に位置し、江戸期の発見から約350年の足跡を歴史に刻み、秋田藩の財政を支えました。銀の輝きは全国から人をひきつけ、一万人以上が集う『院内銀山町』を形成し、『出羽の都』と称されました。その隆盛を支えたのは、一人一人の名もなき鉱山労働者の力でした。地下400メートル以上に及ぶ坑道での重労働と、鉱物粉塵に長期に渡り曝露された彼らの肺は『よろけ』と呼ばれる『珪肺(けいはい)病』に蝕まれ、『30歳まで生きれば長生き』とされました。その年を超えた者は還暦を祝うような『赤いふんどし』を。満たない者は『白いふんどし』を締め、坑道に向かい続けました。この度の取材で最も印象に残った場所があります。院内銀山跡地にある『三番共葬墓地』。銀山で生涯を終えた人々の、約500基の墓碑が連なり、彼らの生きた証が刻まれています。その姿は、銀山の栄枯盛衰の全てを物語るかのように、コケやシダが支配する、緑の大地に包まれています。それはまるで、一つの文明が役割を終え、自然に還っていくような、命の光景でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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10 August 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第15話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第15話が掲載されました。第15回目は、江戸期より続く『土崎神明社』の例大祭である国重要無形民俗文化財『土崎神明社祭の曳山(ひきやま)行事』(土崎港曳山まつり)の物語となります。武者人形が飾られた約3トンの巨大な曳山が各町内から動き出すと、情緒溢れる『港ばやし』の音色と共に、曳子たちの『ジョヤサ!ジョヤサ!』のかけ声が地区に響き渡ります。曳山が運行を開始すると、『ギー』独自に配合された軽油が車輪に注がれていくと、油の匂いが漂っていきます。その全てが混然一体となってまつりを構成し、沸き立つ熱気に港町は包まれます。厄を払い、無病息災を願いながら駆け抜けた2日間。まつりの最後を彩る港ばやしの一つ『あいや節』の、哀調を帯びた音色が暖かな風に乗って、午前1時を過ぎても耳に届きました。それはまるで、たぎる港魂を優しく鎮めるような、名残りを惜しむような、心にしみる音色でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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7 September 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第16話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第16話が掲載されました。第16回目は、秋田県美郷町の本堂城回地区の『鍾馗(しょうき)さま』を中心とした『わら文化』の物語となります。鍾馗様は、疫病を追い払う厄除けの神様として、古来より中国で信仰され、日本に伝来後、各地の文化に融合していきました。秋田県有数の米どころである美郷町を表すように、本堂城回地区の鍾馗様は、身の丈約3メートルの巨大わら人形。悪疫から地区の守り、集落安寧の願いが込められている道祖神として、大切に受け継がれてきました。樹齢500年以上と伝わるけやきの大木の根元に鎮座する姿はとても神秘的です。鍾馗さまは一年に一度、田植えを終えた6月に作り替えの行事が行われます。前年の鍾馗さまは、その場でお焚き上げを行い、感謝の思いと共に天に返します。古来より人は、稲に神が宿ると信じて暮らしてきました。鍾馗様作りの姿を通して、受け継がれてきた人間の尊い営みの一端に、触れたような時間でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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5 October 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第17話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第17話が掲載されました。古来、交通の難所として知られた秋田県由利本荘市の『折渡峠』。その一角にある、山の登り口付近から頂上にかけて、手彫りで作られた千体もの地蔵が立ち並んでいます。江戸期より、霊場として信仰を集めていたこの地に千体の地蔵をまつり、全山を霊地として新たな信仰の場とする実行委員会が地元有志により平成元年に発足。故・髙橋喜一郎さんを会長として寄進者を募り、約2年間で『千体地蔵』が建立されました。喜一郎さんは戦時中、横須賀の海軍工廠で働き、特攻機『桜花』の研究にも携わりました。自らが関わった兵器により、多くの命が失われた深い悔恨の念から、戦後は世界の恒久平和を願い続ける人生をおくります。沖縄戦の舞台であるガマから石を、広島と長崎から被爆した瓦とモルタルのかけらを譲り受け、千体地蔵のある山の頂上に設置した、二体の地蔵の足元に埋めて供養しました。千体地蔵建立の背景には、平和を未来へ繋ごうとする強い意志がありました。夕暮れ時、木々の隙間から光が優しく峠に差し込み、あまたの地蔵が美しく浮かび上がりました。それはまるで、地蔵に込められた尊い願いが一つ一つ照らし出されたような、心を打つ光景でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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2 November 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第18話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第18話が掲載されました。秋田県男鹿(おが)半島北部の琴川(ことかわ)地域の里山で、耕作放棄地の再生活動に尽力されている佐藤毅さんの物語です。琴川地域は、ホタルが舞う水田と里山が広がる美しい場所。佐藤さんはその地で、自家焙煎によるコーヒー豆焙煎所と喫茶店『珈音』(かのん)を営みながら、先人より受け継がれてきた里山を生かし守ろうと、活動を続けています。ある日の田植えの取材中、佐藤さんが2年がかりで再生した水田前で、佐藤さんが火に木をくべて、コーヒーを淹れてくれました。里山に遠く響く野鳥の声と、草木のそよめき。自然が奏でる美しい音色だけが、里山の空間を包み込んでいました。その中でいただく思いのこもったコーヒーは、心に染みる最高の味でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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7 December 2022

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第19話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第19話が掲載されました。秋田県の方言で、漬物のことを『がっこ』と言います。私が幼少の頃、祖母の友人たちが家に集うと、大根、白菜、ナスなど各自が作った自慢のがっこがお茶うけに持ち寄られ、話に花が咲いていました。彩り豊かながっこの文化は、収穫した野菜を大切に使い切る先人の知恵によって生み出され、風土や歴史を反映してきました。今や、全国的に知られる『いぶりがっこ』は、その代表格。連載第19回目は、いぶりがっこの発祥地といわれる秋田県横手市山内(さんない)地区で、伝統の『山内いぶりがっこ』を作り続けてきた高橋健太郎さんご家族のお姿を取材させていただきました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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11 January 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第20話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第20話が掲載されました。第20話は、今年で開催60回の節目を迎える『みちのく五大雪まつり』の一つ、『なまはげ柴灯(せど)まつり』の物語になります。なまはげ柴灯まつり』は、伝統のなまはげ行事と、900年以上前から男鹿市真山地区真山神社で行われてきた神事『柴灯祭』を組み合せ、昭和39年に始まりました。新型コロナウイルスという難しい状況が続く社会。無病息災と五穀豊穣をもたらすなまはげの存在は今の時代において、より大きな意味を語りかけてくるような気がします。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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1 February 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第21話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第21話が掲載されました。奥羽山脈のふもとに位置し、秋田県屈指の豪雪地帯である横手市山内地区。山深い同地区に分け入った先人たちは、林業や農業を興しながら集落を築き、山間に生きる暮らしの知恵を継承していきました。古来、日々の力仕事を終えた男たちの間で夜な夜な愛され、各家庭で密かに醸造されてきた『山内濁酒(どぶろく)』もその一つ。それは、山に囲まれた風土を表すかのように隠語で『フクロウ』と呼ばれ、長く厳しい冬を乗り越える活力となってきました。2010年、横手市全域が『どぶろく特区』に認定されましたが、離農や少子高齢化に伴う後継者不足により、山内濁酒の作り手は減り続け、いつの間にか杜氏は一人となっていました。その状況に心動かされた20代から40代の5人の男性が、2019年に弟子入り。当時、80代半ばだった坂本勇さんから製造技術を学んだ後、醸造所『さんない四季彩館』を立ち上げ、伝統のどぶろく作りに取り組んでいます。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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1 March 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第22話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』の第22話が掲載されました。第22話は、漁の安全と豊漁を願い、冬の日本海でとれた大きな寒ダラを神に奉納する伝統行事『掛魚(かけよ)まつり』の物語になります。掛魚まつりは、秋田県にかほ市金浦(このうら)地域で受け継がれてきた漁師の神事に由来し、300年以上前から執り行われてきたと伝わります。タラ漁が最盛期を迎える1月から2月の日本海は大しけが続き、その海は時に金浦の漁師の命を呑み込んできました。荒れた天候により出漁も限られます。風雪の合間を縫い、得ることができた待望の大タラは古来尊ばれ、人に幸をもたらしてきました。まつりの背景には、タラへの感謝と海に対する畏敬の念があり、漁師は一番の大物を、氏神様である金浦山神社に奉納することで、漁の安全と豊漁を代々願ってきました。今年、タラを担ぎ練り歩く『奉納行列』は、新型コロナウイルス対策などで中止となりましたが、約30人が金浦山神社に集い、神事に臨みました。タラを前にした真摯な祈り。世紀を越えて受け継がれてきた重層な人の願いが、空間を静かに包み込んでいきました。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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5 April 2023

『高橋智史が撮る故郷・秋田
 
~受け継がれしものたち~第23話

毎日新聞秋田県版の紙面で行わせていただいている新聞連載『高橋智史が撮る故郷・秋田 ~受け継がれしものたち~』。2年間取り組ませていただいた最終号となる第23話が掲載されました。秋田県美郷町六郷地区に、700年以上前の鎌倉時代から伝わる小正月行事『六郷のカマクラ』の最終日を飾る『竹うち』の物語になります。竹うちは、長さ6メートルの青竹を、男衆が雪の中で激しく打ち合う勇壮な行事。会場となる『カマクラ畑』には今年、約160人の打ち手が集いました。彼らは、北軍と南軍に別れて対峙すると、古代の合戦を思わせる『木貝』を吹き鳴らし、気合を前面にたぎらせていきます。決戦の幕が開けると双方が一斉に駆け出しぶつかり合い、青竹が何度も振り下ろされ、奮戦が続きます。決着のつけ方は、相手の陣地に押し込んだ方の勝ちとなります。戦いは3回にわたり行われ、北軍が勝てば豊作となり、南軍が勝てば米の値が上がるとされ、今年は、北軍に軍配が上がりました。竹うち最後の戦いの前には、人々が願い事を記した天筆を焚き上げる『天筆焼き』が行われ、荘厳な火柱が天に向かって昇りました。炎は空間を朱色に染め上げ、激突する男衆を照らし出しました。それは、いにしえの願いと共に歴史を歩む、人間の生きる証しが凝縮された、魂を揺さぶる光景でした。紙面未掲載の写真を含めた『写真特集』ページも設けていただきました。よろしければぜひ、ご高覧ください。

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