国際写真賞『PX3 The Prix de la Photographie Paris』(The Paris Photography Prize)。2022年度は二つの作品が、プロの部、報道写真部門(Press/Editorial)にて『Honorable Mention』(奨励賞)を受賞しました。同写真賞は、世界中の写真家の優れた作品をパリの写真文化界に紹介し、写真文化の発展に寄与することを目的に設立された、ヨーロッパ最大規模の写真賞の一つとされています。
受賞作品の一つは、独裁色を強める政権の弾圧に異を唱え続けたカンボジアで最も著名な政治評論家であり、尊敬を集める社会活動家でもあった『ケム・レイ氏の暗殺』を取材した9枚のフォトストーリーです。ケム・レイ氏暗殺の取材内容は、今までに国内外のメディアを通して伝えてきました。
ケム・レイ氏は2016年7月10日の日曜日の朝、ガソリンスタンドに併設されたコンビニエンスストア内にあるケム・レイ氏行きつけのプノンペン市内のカフェで、背後から近づいてきた男に銃弾を撃ち込まれ、命を落としました。当時、私の暮らしていたプノンペン市内の自宅から、バイクでわずか5分ほどの距離の場所でした。「ケム・レイ氏が撃たれた」と活動家の友人から連絡があり、衝撃を覚えながら急行しました。現場には、血にまみれた彼の亡骸があり、暗殺に抗議するケム・レイ氏の支持者たちの憤怒と悲しみが渦巻いていました。
権力と対峙し、草の根の民主を根付かせようと活動していたケム・レイ氏の非業の死は、カンボジアが失った希望の灯火の大きさを痛感させられる時間でした。一党独裁への道を突き進み、強権を加速させる政権による、市民社会への弾圧が激化していたさなかに起きた事件。近年のカンボジアでの取材で、最も悲劇的な出来事の一つでした。
彼の葬儀には全土から人々が駆け付け「ケム・レイさんは国を正しい道へ導くことのできる存在だった」と口々に語り、涙を流しました。葬儀の後、ケム・レイ氏の妻と子どもたちは亡命。現在は、特別人道ビザの発給を受けたオーストラリアで生活を送っています。
私がカンボジアを取材し始めた2003年以降、ケム・レイ氏を含めた3人の著名な活動家が政治的な動機が疑われる銃撃によって命を落とし、いずれも真相究明には至っておらず、彼らの支持者と親族たちは、公正・中立な捜査を求め、権力と闘い続けています。
受賞作品のもう一つは、故郷秋田で受け継がれてきた初冬の風物詩、神の魚・ハタハタ(鰰)を追い求め、荒れる海に挑む男鹿半島の漁師の姿を見つめた9枚のフォトストーリー『ハタハター神からの贈りもの』になります。毎日新聞での連載や、同紙の写真特集紙面などで、思いを込めて伝えてきた内容となります。海に浮かぶ島のように見える男鹿半島。来訪神『ナマハゲ』が住まう地でもあり、受け継がれてきた人間の営みが息づいています。私の取材を受け入れてくださった漁師の皆様には、感謝の思いしかありません。
私はこれからも、政権の弾圧と闘うカンボジアの人々と、故郷秋田の受け継がれし営みを国内外の目に届け、少しでも光を当てることができるように、挑戦を続けていきたいと思います。
2021年度の受賞作品は下記となります。独裁色を強める政権の人権弾圧に、自由と民主を求め闘い続けたカンボジアの人々。大切な彼らの願いをまとめた、近年のカンボジア取材の集大成となる写真集です。受賞を通し、カンボジアで進行する人権弾圧の現状と、独裁に命をかけて抗う人々の切望に、心ある関心が少しでも集まることを願います。『RESISTANCE カンボジア 屈せざる人々の願い』は第38回『土門拳賞』にも選ばれました。
ドキュメンタリー写真集部門、プロの部、金賞(Gold in Book/Documentary)
写真集に登場するテップ・バニー女史。カンボジアで最も勇気ある活動家の一人であり、平和運動の象徴でした。政権の弾圧に立ち向かい続けた彼女は、数度の不当な投獄下に追い込まれながらも、屈せざる意志を貫き通し、祖国の公正な社会の確立を願い続けました。テップ・バニー女史は現在、アメリカで事実上の亡命生活を送りながら、カンボジアの未来を願い活動を続けています。亡命は、政権による弾圧と脅迫と投獄の魔の手から逃れるための、苦渋の選択でした。彼女が近い将来、祖国の地を再び踏める日が来ることを切に願います。
報道部門その他、プロの部、銀賞(Silver in Press/Other)
弾圧を受け、カンボジアを離れなければいけなかった亡命者の多くは、今も祖国の地を踏むことができていません。近年のカンボジアでの取材を簡潔にまとめた内容を『秋田魁新報社×LINE NEWS』の特集記事に寄稿しました。よろしければご覧ください。
また、『SPEAK UP OVERSEAS』で受賞についてご紹介いただきました。
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